Vol.4 権力が強ければ強いほど、筆に力がこもる〜土田直敏

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JPAL Archive Vol.4 —土田直敏

政治漫画家、風刺漫画家の第一人者として知られる土田直敏。
爽やかな日、海近くにある瀟洒な自宅に土田を訪ねた。出迎える土田には、
どっしりと鷹揚な雰囲気が漂っていた。記者が持つ鋭い洞察力も合わせ持っていた。

権力が強ければ強いほど、筆に力がこもる

  • 閃きが天から降ってくるまで辛抱強く待つ

    「性格までも見えてくる」そんな言葉が土田漫画に当てはまる。歴代総理大臣全員の似顔絵は、それぞれに趣が深い。渾身の力を込めるのは、「目がどう映るかです」と土田は静かに語る。上目遣いなのか、黒目がちなのか…など、目の枠の中に黒目を描くときに似顔絵に命が吹き込まれる。さらに普段の所作も重要だ。それはテレビニュースで細かく観察する。
    1960年から1994年の34年間、サンケイ新聞に政治漫画を連載。その数、なんと1万回を超える。毎日、欠かさず風刺の筆を綴った。政治漫画は、生モノだから、書き溜めも、アイディアを溜めることも何もできない。瞬間の戦いである。その上、他社とアイディアがかぶることも許されない。毎日が真剣勝負である。
    肝になるアイディアはどのようにして生み出されるのであろうか。
    「七転八倒、一心不乱に考え込みます」と土田は客観的にさらりと言ってのける。
    「アイディアは閃きに勝るものはありません。閃きが天から降ってくるのを、辛抱強く待つのです」。もちろん閃きまでに至る土台がしっかりとあるから閃きが降ってくるのである。土田09

  • ジャーナリスト魂が燃えている

    土田の1日は新聞を読むところから始まる。朝から昼まで新聞各紙をつぶさに読む。昼のテレビニュースをじっくり見て、それから、サンケイ本社に出かける。午後1時半頃から夕刊を読み、アイディアを練る。午後3時ごろから筆入れ。締め切りの午後4時過ぎには終了する。毎日、時間に追われ職人技のように律儀に政治漫画を紡ぎ出す。心はジャーナリスト魂が核となっている。「権力が強ければ強いほど燃えるのです」とその迫力のすごさに圧倒される。権力が弱者を襲い掛かるとき、権力に対して筆で立ち向かう。権力に逆らってばかりの風刺だから、危険にさらされることもある。その対策として印刷工場の従業員用口から出入りしたが、信念が一本通っているので、度胸は座っている。

  • 日米関係の風刺漫画に横やりが入る

    1986年、ポーランドの首都ワルシャワでの現代日本漫画展において、当時の日本大使館が土田の作品に横やりを入れたことが話題となった。その作品は拳銃を構えるカウボーイ・スタイルのレーガン米大統領のガン・ケースの中で、中曽根首相が拳銃を構えているという構図だ。
    「日米安保体制の状況では米が主役で、日本が脇役という、それ以上の意味はない」と当時、土田は語っている。顔を変えれば、現在も十分通用する風刺が効いたアイディアである。
    この作品に対して自宅にまで抗議電話がかかってきた。「これは失礼だろう」という相手に「名乗らないあなたこそ失礼でしょう」とピシャリ。相手は納得して電話を置いたという。聡明で気丈な澪子夫人である。この夫にしてこの夫人である。見事。土田04

  • 土田の政治漫画で記者が特ダネを知る

    土田は政治漫画家の前は新聞記者を7年間勤めた。生まれ故郷の京都府福知山市で、戦後の就職難の折、1950年、意外にたやすく京都新聞社に入社できた。福知山支社からのスタートである。警察や役所を回って記事を集めた。綾部支局、舞鶴支社、本社へと異動。編集局デスク付ではどんな記事も扱うことができた。中でも選挙の記事が多かった。
    選挙の企画で候補者を訪ね、「自分には絵心があるので絵を添えよう」と、土田が編集会議で提案した。この記事が読者に大反響を呼んだ。
    東京は漫画ブームと聞く。土田は思い切って東京に行くことを決心し、京都新聞社を退社する。辞表を出した日、「これはえらいことをした」と土田はことの重大さに自分を奮い立たせた。
    東京に移ってからも、漫画家の道は順調だった。1957年から共同通信社で政治漫画、画文の閣僚インタビューなどを執筆する。
    土田の題材はいつも旬の真ん中を射る。特ダネを題材にした土田漫画で、記者が特ダネを知るというほどネタが早かった。時代の最先端のニュースと共に土田の政治漫画がある。それが土田の情熱の原動力となっていたのかもしれない。

  • 一平全集で政治漫画に開眼

    土田が師と仰ぐ人が、岡本太郎の父である岡本一平。とはいっても直接ではなく、一平が書いた「一平全集」である。この本を古本屋で見つけ、政治漫画に開眼した。20代になってからのことである。「一平全集」には漫画とともに文章も書かれている。
    「一平さんのおかげで語彙をいっぱい知ることができました」と目を細める。
    一平全集を常に読み返して語彙を多数獲得した。
    「ペンは削るような感じになる手の感が嫌で、筆を使っていました」
    鉛筆で下書きをし、筆と開明墨汁で仕上げた。鉛筆はFから6Bを揃え、下書きはHBを使用。紙はケント紙、消しゴムは練ゴムを使った。
    アトリエに据えられた長年愛用の机の上には、手で回して削る鉛筆削りが置かれている。年代物の鉛筆削りは、土田の歴史を静かに見守っている。今また経済誌に載せる文化人や経済人の筆入れを見続けている。_DSC6075

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プロフィール
土田直敏 つちだなおとし

1927年生まれ。京都府福知山市出身。1950年、京都新聞に入社。地方部、社会部、編集局デスク付記者。1956年、京都新聞を退社し上京、漫画家となる。1957年~1988年、共同新聞社で政治漫画、画文の閣僚インタビューなどを執筆。1960年~1994年、産経新聞で政治漫画を連載。1万回余りになる。そのほか、毎日新聞、This is読売、東洋経済、月刊現代、フジテレビ、テレビ東京、テレビ朝日、スポーツ紙などに時事漫画、イラストなどを執筆。共著「私の八月十五日」で文化庁メディア祭奨励賞受賞。日本出版美術家連盟元副理事長。鎌倉ペンクラブ会員。日本漫画家協会会員。趣味は釣り。

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 撮影/タカオカ邦彦  取材・文/浅原孝子

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