Vol.2 時代考証力こそが時代小説挿絵画家の力〜堂昌一
JPAL Archive Vol.2 —堂昌一
時代考証力に優れ、丁寧でリアル、
見応えのある時代小説挿絵を描き、
多くの作家とコンビを組んで名作を生み出す。
●股旅物の魅力に出会う
昭和40 年代の堂は、時代小説の中でも特に股旅物に興味を惹かれたようで、笹沢佐保「日暮妖之介」(「週間小説」昭和47年)、笹沢佐保「木枯し紋次郎」(「小説現代」昭和50 年)、笹沢佐保「潮来の伊太郎」(「週間読売」昭和48 年、)など、見ごたえのある作品を残している。 <br>
専太郎にピンチヒッターを頼まれ、専太郎の画風を研究することが、さらに表現力を向上させた。
●遅咲きの挿絵画家が花を咲かせる
挿絵画家・岩田専太郎は、昭和49 年2 月、突然逝去した。専太郎はそのとき、連載ものの挿絵を数本抱えていた。その挿絵は、まな弟子のような付き合いをしていた堂に、当然のように引き継がれることになった。
代役について堂は「昭和46年から『週刊文春』に連載中の『西海道談綺』の挿絵のつづきを、岩田先生の代わりに描くようになって、昭和51年5月6日でそれが終るまで、仕事をさせていただいたことは、身に余る光栄と、とても感謝しています。『西海道談綺』の挿絵の代役をするに当たって、私にはもちろん、岩田先生に代わるような腕も力もないので、原稿をよく読んで、時間の許す限り、丁寧に、リアルに描き込むこと、それよりほかに、よい方法が見出せませんでした。」(堂昌一「岩田先生の代役」、『松本清張全集月報12』文藝春秋、昭和58 年)と振返っている。
堂にとって専太郎の代役を任されたことは、「連載挿絵を引継いだ時、やっと半人前になれたと思いました。」(「文藝随筆」、日本文藝倶楽部、平成12年)と、専太郎の庇護から巣立ち、独自の道を探る旅への闘志を奮い立たせるモチベーションとなっていた。
●代表作となる時代小説挿絵が次々に誕生
SF ベストセラーズ・中尾明『黒の放射線』(鶴書房、昭和52年)や、城戸禮『国際秘密警察 地獄行き三四郎』(広済堂、昭和47 年)は、新たな画風を探して自らに課した訓練でもあるかのように、これまでにはない新たなモチーフや表現が至るところにちりばめられ、新作風との出会いを楽しんでいるように見受けられる。 50 歳を迎えようとするころからのそんな努力が認められたのか、専太郎の代役を成し遂げてからは、いい小説との出会いにも恵まれ、堂の代表作となる作品が次々に誕生する。
堂の代表作品を探るのは難しいが、『堂昌一さし絵画集1992』に作品が掲載されているページ数の多さで探ってみると、五味康祐「吹上奉行参上」(「週刊新潮」昭和54 年)、森村誠一「忠臣蔵」(「週刊朝日」昭和59 年)、松本清張「西海道談綺」(「週刊文春」昭和49 年 )、森村誠一「新選組」(「週刊朝日」平成2 年)、笹沢佐保「潮来の伊太郎」(「週刊読売」昭和48 年)、多岐川恭「用心棒」(「週刊新潮」昭和52 年)と独自の画風を作り上げたころの作品で、時代小説が多いのが分かる。
●時代考証力こそが時代小説挿絵画家の力
時代小説の挿絵には画家としての表現力の外に時代考証の力が要求される。「汚名 本多正純の悲劇」(毎日新聞社 、平成4 年)など、堂と一緒に時代小説の仕事をした杉本苑子は、「堂さんと私の、仕事の上でのかかわりが深くなったのは、婦人公論に『散華』という小説を連載していた時からだと思う。『散華』は、サブタイトルに『紫式部の生涯」』とある通り、平安朝時代の作品だが、堂さんの考証の確かさに、私は目を見張り、心から安堵感をおぼえた。建物・調度・装束はもとより、こまかい持ちもののたぐいまでじつにきちんと、いささかの誤りもなく描いてくださっていたのだ。以来、『竹ノ御所鞠子』、毎日新聞の夕刊に連載した『汚名』など、つぎつぎにコンビを組ませていただき、その麗筆の恩恵に私はたっぷり浴している。『竹ノ御所鞠子』は鎌倉時代、『汚名』は江戸初期に材を取った作品なのに、堂さんの考証の正しさはみごとなほどで、ことに『汚名』の場合は読者層が広く、反響もたいへん大きかった。過去に幾度か新聞小説を手がけてきたけれど、『汚名』のときほど挿画への讚辞が多数寄せられた経験は、他にない。」(『堂昌一挿絵画集』)と時代考証力に感謝と絶賛を惜しまない。
●最高のコンビが名作を生み出す
堂と協同制作した作品が多い森村氏は、「堂先生のおだやかな表情と、瑞々しく艶やかな、しかも抑制された作品に接するとき、その底に秘められた激しい炎を感ずるのである。その炎に焙られて小説も加熱する。絵と小説が一体となって、独特の作品世界を演出する。挿絵は、読者を小説世界へ導くための灯台である。灯台の光が不足したり、誤った方向を照らしたりすると、読者は迷ってしまう。堂先生の作品は、私の小説にとって燦然たる灯台であり、それ自体が一個の生命を持った作品である。」(『堂昌一挿絵画集』)と、互いに尊敬し、共鳴しあう弦のように意気の合ったコンビが名作を生み出すのであり、堂はその最高の相棒だった、と高く評価した。
★日本出版美術家連盟発行『粋美挿画vol.3』 から「岩田専太郎の後継者として時代小説挿絵を、春日章として妖艶な挿絵を多彩に描き分ける 挿絵画家・堂昌一」(大貫 伸樹…装丁、挿絵史研究家、会員)からの抜粋
●ギャラリー
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堂 昌一 プロフィール |
本名(堂前證一) 会員データベース |
1926 年 | 東京に生まれる。 |
1941 年 | 本郷絵画研究所に学ぶ 。 |
1945 年 | 「聖戦美術展」「大東亜戦争美術展」入選 。 |
1947 年 | 笹沢佐保「潮来の伊太郎」(読売新聞)、岩田専太郎先生の死去により松本清張「西海道談綺」(週間文春)、山岡荘八「徳川家光」(毎日新聞)の挿絵を引き継ぐ 。 |
1975 年 | 笹沢佐保「木枯し紋次郎」(河北新報) 。 |
1992 年 | 「挿絵画集」(ノーベル書房) 。 |
2010 年 | 堂昌一・中西美子第3回父娘展 。 |
2011年 | 2011年9月25日堂昌一(堂前證一)85歳で永眠致しました |