Vol.3 戦艦大和が私に描かせた〜水野行雄

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JPAL Archive Vol.3 —水野行雄

艦艇画家として礎を築き、「戦艦大和」の第一人者として知られる水野行雄。日本出版美術家連盟展会期中、水野に会うべく、東京・日本橋にあるギャラリーを訪れた。水野は自分の作品を前にして歓談中。彼の人柄に触れた思いがした。

本物の図面に基づき、戦艦大和が描かせた

  • 艦艇の重量感がそのまま伝わる

    「本物より本物」。そんな言葉がふさわしい。水野の描く艦艇は、緻密にして雄大。本物の迫力が見る人の魂にずしりと迫ってくる。どっしりとした重厚感、数万トンもの艦艇の重量さえ感じられる。
    「絵が上手な人はいっぱいいるんです。私は絵が上手じゃないので、元資料や本物の艦艇の図面を見て描くところが違う。そこに私にしかできない絵の存在価値があるのです」と水野はあくまで謙虚だが、絶対の誇りも持ち合わせている。

戦艦「大和」
戦艦「大和」
  • 知られざる大和への執着

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    水野がなぜ大和にこだわるのか。水野が20代の頃、すでに活躍していた絵師から何を描きたいのかを聞かれ、迷わず「戦艦大和」と答えた。「大和は艦橋基部資料が水野君には見られないので、描けないよ」という予想外の答えが返ってきた。
    不屈の精神に火が付いた瞬間だった。それを境に、どんな小さな記事でも写真でも、大和に関しての資料はすべて洩らさなかった。約20年間、大和の資料を集めに集めた。あるとき、学研から発行された『太平洋戦史シリーズvol10 連合艦隊の最後 』のなかの大和のイラストが目に留まった。90年代半ばの頃だった。
    「今まで集めた資料と食い違っている点を指摘する手紙を編集長に送ったのです。今考えると失礼な話だと思いますね」
    編集長から連絡があり、「大和に詳しそうだから大和型戦艦を描いてほしい」という依頼があった。精魂込めて描いた「戦艦大和」の本は、増刷を重ねベストセラーとなった。

  • 小松崎から画力が認められる

    長年憧れていた小松崎茂から突然、電話がかかってきた。「大和の絵を見ました。日本人でこんなに大和が描ける人がいるとは思わなかった」と興奮気味だった。小松崎の展覧会に行くと、弟子の最後に水野の名前があった。「僕の名前が弟子一覧にあるのですが…」と小松崎に聞くと「水野さんは私の弟子です」ときっぱり。その言葉は水野の画力を認めた証だった。水野はこのとき「資料を集めたかいがあった」と天を見上げたに違いない。

  • 遅咲きの艦艇画家の誕生
    駆逐艦「狭霧」
    駆逐艦「狭霧」

    グラフィックデザイナーとして仕事をしていた水野は、小松崎茂、髙荷義之の絵に強烈な印象を受け、いずれイラストレーターの道を歩みたいと考えていた。85年、イラストレーターとして独立。
    当時住んでいた近くの模型店の主人が「水野さんならもっとうまく描けるんじゃないかな」と巨大な航空母艦の箱絵を持ってきたのが箱絵を描くきっかけとなった。初めて描いたのが空母「インディペンデンス」。1991年、水野が44歳の時だった。
    「箱絵の描き方がわからないので、ボックスアートの大家である上田毅八郎先生に教えてほしいとお願いしたら快く引き受けていただいたのです」
    「ニッカポスターカラー」、「ワトソンボード」は上田から教わったもので、以来ずっと使い続けている。

  • 1日で描けそうな大きさだけあけて、筆を進める
    戦艦「大和」部分
    戦艦「大和」部分

    水野の艦艇の描き方は独特である。
    まず、「ワトソンボード」(3m/m厚)にHB鉛筆で下書きをする。そうして描いた下書きを原寸大でコピーをする。そこには気が付いた点を書き込んでおく。そして、バックの海や空を最初に描く。それから、船体をロットリング黒+シャドー色で一旦真っ黒に塗る。
    それをコピー用紙の裏(白)で画面を覆い隠す。1日で描けそうな3cm四方ぐらい用紙をあけて、その部分を集中して描く。描いたところはまた用紙で覆っておく。
    「船体を真っ黒に塗ったときに、気分が落ち込んで、描けるのかしらと一瞬、思うんです。用紙で隠せば、描く部分に集中できます。届ける3日前くらいに覆っていた用紙を全部取り除くと、艦艇が描けているんですよ。そのときはよく描いたなと思います」と水野は会心の笑みをたたえる。

  • 「海底に眠る大和」探査に参加する

    1999年、大和研究者として自他ともに認める出来事が起こった。テレビ朝日の番組で海底に眠っている「大和」を潜水艇で探査する「大和の海底探査」のプロジェクトに参加。大和研究家として、潜水艇に水野が乗り込んだ。
    「大和の艦首、磁気機雷除けの消磁コイルなど直の大和を見ることができ、これまで謎だった主錨の位置などもわかり、とても興奮しました」
    大和研究家から「兵器学教科書」という貴重な「戦艦大和」主砲教科書を貰い受け、140ページもの難しい本を何回も読み返した。「すべてを疑え。実態の艦艇はどのようになっているのか」大和の事実を正確に伝えるのが使命かのように艦艇画を微細な筆遣いで描き続ける水野。
    「それは私が描いたというより、大和が描かせたという感覚でした」

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プロフィール
水野行雄 みずのゆきお

1947年(昭和22年)、長野県生まれ。1965年上京。デザイン専門学校卒業後グラフィックデザイナーを経て、1985年、38歳のとき、イラストレーターとして独立。「マガジンハウス」「ベースボールマガジン社」等にスポーツイラストを提供。1991年頃、箱絵を描く。その後「艦艇画家」としての活動が主になる。1996年、「大和型戦艦」(学研)で「大和」を描く。「大和」のイラストは故小松崎茂氏より絶賛され、最後の弟子として名を連ねる。

●ギャラリー(クリックで拡大表示されます)

撮影:タカオカ邦彦 取材・文:浅原孝子
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