Vol.1 レコードジャケットとの出会い〜長岡秀星

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JPAL Archive Vol.1 —長岡秀星

Eartg,Wind & Fireなどのレコードジャケットで
世界的にその名を知られ、
その幻想的な作風で魅了し続ける。
●アメリカ社会のイラストレーション

――渡米された時のイラストレーションの世界はどの様な時代でしたか?

当時、アメリカは、「LIFE」や「POST」のイラストレーション黄金時代の最後の時期でした。ほとんどの絵描きやカメラマンやライターは「ライフに載るまでは死ぬ訳にはいかない。」と言っていた時代です。私は辛うじて間に合いましたが、描いたのは本文ではなくGMのシボレーの新車の全面広告でした。

――アメリカ人社会での仕事における考え方は?

ハリウッドには「美人が美人である事を証明するのには、1秒もあれば充分だ。」という言葉があります。脚本を読んでもらうには少なくとも一晩はかかります。音楽を聴いてもらうのには最低でも3分かかります。大抵その3分すら持ち合わせてはいないのです。

良き時代のLPレコードジャケットの役目は、その3分の時間を惜しむ人達を1秒で立ち止まらせ、まず聴いてもらうチャンスを作る事でした。美人の顔が多く使われた理由もここにあります。

●レコードジャケットの仕事

――レコードジャケットの仕事のきっかけは?

オハイオの出版社で働いていたロジャー・カーペンターという男から電話で仕事の依頼がありました。その時は断りましたが、翌年、今度はセンチュリー・シティのCBSレコードから電話を掛けてきました。

「今度はあんたと仕事が出来ると思うよ。アース・ウィンド&ファイアーというグループで、今夜、テレビで特集が出るから見てくれ。気に入ったら明日アポイントを取る。」と。 これが、レコードジャケットとの出合いになりました。

――モーリス・ホワイトさんにお会いになったときの印象はいかがでしたか?

それは、非常に熱い1日でした。深夜のスタジオの録音から帰ってきて、疲れていたはずですが自分でスケッチを描きながら丁寧に熱心にイメージを説明してくれました。この下書きは今でも私の宝物です。

私達には冷たい飲み物やワインをしきりにすすめるのですが、彼達は生温かいフルーツネクターをゆっくりと口にして、氷には絶対に手を付けないのが非常に印象的でした。これが喉を使う人達の厳しさなのでしょうか。
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――アース・ウィンド&ファイアーのレコードジャケットは、大変インパクトがありました。モーリスさんの描かれたイメージはどのようなものでしたか?

モーリスがスケッチを描きながら、入れて欲しいシンボル的な要素を具体的に並べました。

このシンボルが意味する宗教的な闘争の歴史に関して彼等は実に敏感で詳しいのです。公民権運動があり、「ルーツ」というテレビドラマが話題を独占していました。彼等は白人社会が無造作に扱っている神の名によって行われる人種的偽善を、アルバムの中でだけは許したくなかったのです。その熱意は痛い程良く伝わってきました。

同じアフリカが舞台でもカソリックのタイスの瞑想曲とは程遠く、ニューヨークのCBSの連中に対してはメトロポリタンのアイーダの野外劇の向こうを張る押し出しが必要でした。 白人のロジャーは私達の意図をよく理解して、会社の中で防波堤になってくれました。

――カーペンターズのレコードジャケットの時はいかがですか?

ローランド・ヤングという中国系のアートディレクターがいきなり訪ねて来ました。彼等はツアーや録音で忙しく、A&Mから厳重に管理されていましたので、私達だけで自由に作りました。このカバーは様々な物議を醸し、それは未だに続いていますが、日本のファンからは実に好意的に迎えられたようです。

●発色と画材について

――長岡先生が主に使われている画材は何ですか? 特に発色の鮮やかさが独特ですね。

リキテックスを筆とエアブラッシュで使っています。

リキテックスの透明性と手書きの不透明性とエアブラッシュの半透明の膜を重ねているうちに、光の干渉と絵具の発色の融合があるのではないでしょうか。 リキテックスは自分で混合していろんな色彩を作りますが、水道水で溶いて混色すると化学反応を起こして沈殿する事があります。1日で使い切る分量と、同じ色を再混合する時に細心の注意が必要です。

リキテックスはいくら塗り固めても表面が平らで、湿気に強い理想的な保存性を持っています。そのため、乱暴なようですが私の絵はすべて、汚れてきたら濡れ雑巾で拭いても大丈夫なのですよ。

パレットはトレーの上にペーパータオルを何枚も重ねて水を含ませその上にアートセンター式ではダイパーライナーという市販の紙おむつのカバー、私の方式ではハンバーガーの防水性の包紙を重ねれば出来上がります。

定着スプレーをかけ過ぎて画面が絵具を弾くようになったらベビーパウダーをティッシュペーパーに付けて軽く拭くと直ります。変な画材ばかりですが、ハリウッドの美術部の現場はえらく生活感に溢れているな、と思ったものです。
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――次に何がしたいですか?

迷宮のアンドローラでは、夢野久作氏がやり残していたかもしれないテーマを、短い時間に無理矢理、本にしようと試みましたが、この様な命題は始めると際限もなく内部で拡大し何十年かけても時間が足りません。簡単に様式化して画像化するステンシルらしきものの開発も兼ねてすべての時間を注ぎ込んでいます。

長岡秀星プロフィール
本名(長岡 秀三) 会員データベースother_win
1936年 11月26日長崎市生まれ。3男、父は長崎港税関勤務。
1945年 原爆爆心地の山里国民学校より、父の出身地長崎県壱岐へ疎開。
1955年 高校3年の時、小学館発行「中学生の友」新年号の巻頭カラー挿絵に送稿し採用される。最初の仕事。 上京、東京武蔵野美術大学に入学。1ヶ月後より雑誌、出版物の仕事を始める。
1958年 コマーシャルアーティストとして独立。 業務多忙のため大学中退。
1967年 大阪万国博覧会準備グループに参加。
1970年 渡米、ハリウッドにアートスタジオ設立。
1972年〜1980年 アルバムカバー、映画広告の仕事が増える。 カーペンターズ、E.L.O.、アースウインド&ファイヤー、ジェファーソンスターシップ等のアーティストの作品制作
1981年 NHK出版社より画集「長岡秀星の世界 パート1」を出版。
NHKスペシャルドキュメント(1時間特別番組)を放映。
新宿伊勢丹にて「長岡秀星展」を開催、10万人を集客。
その後15大都市で2年に渡り開催し、大成功をおさめる。
1982年 スペインの2万年前の原始絵画「アルタミラ洞窟」永久封鎖が決定、最初で最後のテレビ撮影がTBS放送により行われ、日本側からの唯一の立会人となる。
「アルタミラ洞窟」イメージポスターと番組制作に参加。
1984年 絵物語「迷宮のアンドローラ」を集英社より出版。神戸そごう、銀座プランタンにおいて展示会、大成功。
1985年 画集「長岡秀星の世界 パート2」を出版。つくば科学博公式ポスターと政府出展館の展示物の制作を行う。
出版記念展示会を新宿伊勢丹はじめ各都市で開催。
1987年 長崎県「旅」博覧会公式ポスターを制作。
1991年 TBS放送による日本人初の宇宙特派員計画のための作品を制作。作品は宇宙飛行士秋山豊寛氏がロシアのミール宇宙ステーションに持参。史上初の宇宙に出た芸術作品となる。無事帰還後「宇宙讃歌展」が銀座三越を皮切りに全国各地で開催。絶賛を浴びる。
F1日本グランプリの公式ポスター制作。作品テーマのアイルトン・セナはドライバー、チーム、エンジンメーカー3部門完全優勝を果たす。セナ氏と長岡氏のサイン入りリトグラフがフジテレビより発売され、即完売する。
1993年 アメリカの出版、広告での制作が増え、ほとんど在米。
1998年 制作10年におよぶ念願の大作、絵物語「アナバシス」の完成へ向け、最終段階の制作に入る。
1999年 3月25日 日本の大手CD-ROM制作会社シンフォレスト社より、「長岡秀星作品集」を発売。
壮大な宇宙をテーマに制作した、絵物語「アナバシス」の完成にむけ、今年からその発表と出版、展示会の開催などの活動に大きな意欲を燃やしている。
撮影:タカオカ邦彦
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